濁流、清流、干ばつ?

インプットがない状態でアウトプットをし続けるとストックが尽きてくる。言葉は違えど母がいつも私に言っていることだ。勉強し続けないと、本を読まないと、人間としてドンドン薄っぺらくなってしまうよと実家にいるといわれる。確かに昔はたくさん本を読んでいたけど、動画やゲームとか面白いことがたくさんある中であえて本を読むことに魅力を感じなくなってしまった。ものかきという人種の知識レベルや教養度が漫画家のそれよりも高いのはわかる。職業への偏見かもしれないが、作家という人たちは往々にして頭がいいように思える。語彙力がないと的確に自分の脳内イメージや伝えんとする意見、首長や論理展開を正確にそして感情をのせて伝えることは困難だからだと思う。漫画家やイラストレーターは読者に伝える情報が多くなるため言葉の背景や世間で使われている語彙の感覚、世俗的ステレオタイプを前提とした言葉選びをしなくともイメージの共有によってより直感的に情報を伝えることができる。絵はその点便利かもしれないが、背景知識というか文化の理解度、作者の脳内で有機的につながっている情報の量は物書きのほうが多いように思えてしまう。むろんイラストレーターがバカだと言っているわけではなく、必要となる技術やスキルが違うといっているだけだ。私は絵描きを尊敬しているし生まれ変わったら絵をかくのが好きな人に生まれ変わりたいと考えている。イラストレーターの生み出す世界を毎日楽しく見て回っているし私の人生を彩っている大切な要素だ。だが知識、文化、教養レベルの話となるとイラストにはない自由度が文字情報にはあるためテキストのほうが幅広い分野で、奥深く情報を伝えられる。例えば「夏休みの祖父の家、暇を持て余して眺める蚊取り線香の煙。」の一文を絵で伝えようとするとその情報量は数MBになるかもしれないが、テキストは読み手の記憶に存在するイメージを引き出す役割を持っているため、数KBで映像、音、匂い、心情などの五感情報を読者に伝えることができる。そのため情報の正確さには揺らぎが生じてしまうがそれは仕方がない。そこが醍醐味でもあるのだから。不思議なのはその脳内イメージを見たこともない世界、経験したことのない事柄についても描くことができる点であるが、その不思議さはまた今度追求していこうと思う。本稿の冒頭で言っているインプットとアウトプットに話を戻そう。これらはそれぞれ別の働きを指している言葉だ。

インプットとは自分の中に存在する経験や心情の在庫のことであり、アウトプットとは他人の心の中にあるイメージを頼りにして言葉を立てていくこと。インプットは感性豊かな読者であるために、アウトプットは感性を呼び覚ませるような文を書くために必要だ。たしかに私は最近本を読んでいないし外に出て何かを見ることもでしていない。しかしアニメは毎日見ているしゲームも毎日しているし友達と毎日会話もしている。ん?これ終わってね?普通にインプット足りて無くね?あれ?やばくね?なんか自分で書いてて情けなくなったな。最近ゼミの論文発表のために論文を漁り始めたけどやっていることといえばそれくらいだな。論文はすなわち論理展開と知識の融合物だから感性を刺激されるようなハッピーな詩とか悲壮な文学作品を読まないと自分の心の中のイメージの在庫が増えることはない。文学作品を早急に読まなければ!と今までは本気で思っていた。
毎日㍶画面以外でけっこう楽しく見ているものがある。それは空だ。少し体を傾ければ4階の高さから見晴らしのいい東京の住宅街と大きな空をいつでも観察することができる。毎日眺めているだけあって建物の形には飽きてしまった。それでも雲の形や空の色、風の強さが毎日毎日違う景色を作るので空はとても面白い。形が複雑すぎて言葉に表せない入道雲やゆっくりと空を横断するぽわっとした塊の雲を眺めていると時間がいつの間にやら過ぎている。遠くまで見渡せる4階に住めてよかった。夜になると月の色とか形がかわっていて面白い。ここ最近は黄色い月をよく見ていたが、夜の散歩で別の角度で月を見上げた時、満月が真っ白に輝いていた。不思議だった。角度によって違う色に見える原因はさっぱりわからなかったけど、不思議は不思議のまま置いておくことにした。
友だちと歩いているときに見上げた空がおもしろいとそれを友達によく伝える。しかし共感してもらえることよりも空に注目していることに対するコメントのほうが大学に入ってから多くなってしまった。書物によるインプットの量が少なかったとしても自然物にの観察を続けていれば心が廃れることはないと思うし感性も擦り切れてしまうことはないと思う。身近な感動を最大限楽しめているのだから。一緒に空を見て歩く友達、募集中。

アウトプットについてはそうもいかない。自然のものを楽しんでいるだけでは廃人のような語彙力になってしまうし、そもそも言語は人に何かを伝えることでしかは鍛えられない。だからこそ始めたこのブログなのだが、毎日友達と通話しているだけでも十分に意識すれば幅広い日本語の言葉を使って会話をすぅることはできると思う。たしかに本を読むことでもっとおもしろくて適切な言葉の選び方ができるようになるかもしれない。でもインプットとアウトプットの練習を目的に本を読むよりも、空を眺めていた方が、友達と話していた方が楽しい。