成人済みの子供

中学生の自分は悩みごとがないことが誇りだった。学業で秀でていることが自分の特徴だった。誰もが僕を見て大人びていると褒めた。無知と素直さを取り違えた子供は無邪気に学校のすべてを吸収し、学校以外の全てを知らずにすくすくと育った。

案外多くの人が自分の家庭環境に対してコンプレックスや劣等感を持っていることを最近知った。ところがそれの大半は他の仮定を知ったがゆえの、大勢の他人を知ったがゆえの相対的な劣等感から生じるものだと思う。他の家が羨ましいのだ。自分にないものが、自分が欲しかったものを手にしている他人が、それを手に入れられる環境で育てたことに嫉妬しているのだ。僕はそうだ。お小遣いがあった他の家庭が、あちこち遊びに行けたクラスメートが、ゲームや漫画を持っていた友達が、失敗しても軽く怒られただけで許される他の子どもが羨ましかった。今でもそんな友達に激しく嫉妬しているし心の底で煮えたぎっている怒りは全て自分の子供時代の不自由さを呪ったものだ。厄介なことにこの怒りは発散するのがとても難しい。友達に話したところで、自分の家庭環境もそうだった、不自由な部分はあった、お前はここが恵まれているんだからぜいたくを言うな、俺はそれすらなかったぞ、と途端に不幸自慢の大会になってしまう。僕は誰よりも不幸だったから怒っているのではなく、ただひたすらに悲しかったことを誰かにわかってもらいたいだけなのに。子供時代という人間の根幹の部分に関する悩み事だからそもそも相談することではないだろうとも思うのだが、フラットに話す相手がいないのでは怒りの形もわからないし、何に怒っているのか感情を整理することもできなくなってしまう。これまでは人に話すことで頭の中を整理していたが幼少期の怒りについてはその方法は取れない。はてなブログの出番じゃ。

少しずつしか書けないけど、言葉にできるものから順番に書き起こしていきたい。

もっと遊びたかった。もっと長時間遊びたかったのではなく、もっといろんな遊びをいろんな友達としたかった。ゲーム機やカードゲーム、ゲーセン、友達の家で漫画を読んだりゲームをしたり、映画を見に行ったり学校帰りに寄り道をしたり。遊園地に行ったり、カラオケをしたり、友達と買い物に行ったり。母からはいろいろな縛りを設けられていたけど、その中でも未だに効いている強力なルールがある。

  1. 娯楽のためにお金を使うことは悪である
  2. モノ(おもちゃ)で友達を作るな
  3. 100%責任が持てない言動はとるな

一つ目の縛りはキリスト教で言う清貧に近いものがある。我が家は無宗教だがこの3つを遵守していたので、敬虔なカトリック教徒並みに(表面上は)無欲に育ったと思う。そしてこの一つ目のルールが非常に厄介なのだ。そもそもお小遣いなど存在しなかったので年がら年中財布の中身は小銭が何枚かあるだけだったが、お菓子を買うのもダメ、おもちゃを買うのもダメ、漫画を買うのもダメ、何もかもだめだったのだ。当然それらを持っている子とは話が合わないので外で体を動かして遊ぶのが好きな友達と毎日遊ぶようになる。遊び方も偏ってくる。

二つ目のルールはおそらく物の貸し借りを通して、他人にとって都合の良い人になるなという意味だったと思うのだが、一つ目の制約のせいで自分が何も持っていないため「他人からモノを借りるな」と頭の中で変換された。他人からゲーム機や漫画などのおもちゃを借りれば自分がその人に会う理由が「モノ」になってしまい、ルールを破ることになってしまうというのが僕の思考回路だ。なかなかに歪んでいるが僕にとっては100%正しい論理的思考なのだ。このため友達から何かを借りるときはいつもすごく大きな罪悪感を感じていた。

三つ目がおそらく一番残酷だった。子供の責任能力など高が知れている上に、責任が取れないからこそ親が存在するというのに私はその無理をこなそうと頑張っていた。無謀な行動をしてその責任を取ろうと躍起になったことも初めのうちは多々あったがそのうちに自分の手に負える、負えないの判断が付くようになって自分のやりたいことをしなくなった。自分のやりたいことよりも自分が責任を持てるかを常に考えるようになっていた。子供とは思えない思考回路だが、昔から今までこの考えをもとに判断し、行動してきた。責任が持てないことをするな、言うなと記憶にある限り叩き込まれるとともに基本的な礼儀についてマナー講師もびっくりするくらい厳しく躾けられたので小学4年生の時にはこの法則を必ずどんな場面でも守るようになっていた。躾けにはなかなか激しい体罰が伴っていたみたいだけど、先日兄からその詳細な様子を教えてもらうまでは記憶から完全に消えていたことが怖かった。言われても思い出せないことが半分以上あったが、思い出せただけでもなかなかに危険な内容だった。静かに涙を流しながら母に従う様子が悲しかったから兄は俺にいつも優しくしてくれていたのだという。そんなハートフルストーリーが兄との間にあったなんて知らなかったが当の本人は覚えていないのだから自分の脳みそが都合よくできているのがわかる。

これらの三つのルールが効いていたせいで大学に入ってしばらくの間は68円のポテトチップスを買うことでさえすごくイケナイことをしている気分になったしたったそれだけで自由を実感していた。自分で稼いだ金で自分の欲しいものを買うことはこんなに楽しいことだったのかと衝撃的だったしあまりの世界の広さに眩暈がした。億万長者になればこの自由が無限に続くのかと考えると早く働きたくなった。純粋で単純だね。疲れたから今日はここまで。