女性ディベータ―云々の記事のデータの扱い方について

先日ある社会人ディベータ―がディベート界隈における女性ディベータ―の少なさとそれを取り巻く環境を分析し、問題提起と解決法をブログにまとめて公開しているのをみた。その記事がリツイートで回ってくる程度には自分はまだディベート界隈に残っているのだなと認識しつつ読んでみると、あまりの悲惨さに怒りが湧いてきた。もちろん怒ったのはジェンダーとかの話についてではなくデータの扱い方の悲惨さについてでだ。データの読み取り方が恣意的で間違っているうえにその誤って読み取られたデータすら活用されていない。データを現状分析の補助としてではなく客観的視点を取り入れている風に見せる演出にしか使われていない。ここではその誤りについて指摘するとともに正しくデータを読み取るのであればどのような結果になるのか、それらが本文に対してどのような影響を及ぼすのかを記す。

自己紹介

経済学部の学部生。専門は国際経済だが個人的にミクロ理論にも興味があるためそちらについても論文を書いている。
ディベート歴は高校で3年間HEnDA型とAsian(WSDC)、NAスタイルを、大学でAsianとBPをやった。大学に入ってからはほぼ引退状態で各スタイル1つずつしか大会には出ていない。

 

目次
 1.データの読み取り方に対する批判
  1.1 女性ディベーターの人数が少ないという主張は誤りである
  1.2 学年が上がっていくごとに女性参加率が低くなっていくという主張は早計
 2.誤ったデータの読み方がブログの本筋に与える影響
 3.最後に

 

データの読み取り方に対する批判

 以下の批判はすべてデータが明示されていた2か所についてのものなので先に該当箇所を引用しておく。

引用1 

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Morooka "Gender Diversity in Debate in Japan: An Examination of Debate Competitions at the Secondary and Tertiary Levels"より、2015年から2016年における日本国内ディベート大会での出場選手の男女比率に関する調査結果の一部

女性ディベーターの少なさは何を引き起こすか。私たちに何ができるか - やほほ村

 引用2

日本の英語および日本語ディベートにおいて、選手ジャッジともに女性比率は低い

日本の様々なタイプのディベートにおける選手およびジャッジの男女比率を見ていきましょう。

Morookaの"GENDER DIVERSITY IN DEBATE IN JAPAN An Examination of Debate Competitions at the Secondary and Tertiary Levels"*8では2015年から2016年にかけての、日本語と英語の各種ディベート大会における選手ジャッジの男女比率を調べています。調査結果は下記の通りでした。
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調査対象となった各大会の参加層やフォーマットの説明
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各大会の選手の男女比率(予選) 日本語大会: Debate Koishien(中高生準備型), CoDA(大学生準備型), JDA(年齢無制限準備型) 英語大会: HEnDA(高校生準備型), HPDU(高校生即興型), SIDT(大学生準備型), NAFA(大学生準備型), BP Novice(大学生即興型), JPDU(大学生即興型)
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各大会の選手の男女比率(本戦) 日本語大会: Debate Koishien(中高生準備型), CoDA(大学生準備型), JDA(年齢無制限準備型) 英語大会: HEnDA(高校生準備型), HPDU(高校生即興型), SIDT(大学生準備型), NAFA(大学生準備型), BP Novice(大学生即興型), JPDU(大学生即興型)

この通り、男女のバランスがとれているとは言えない状況が目立ちます。特に表の上段5行を占める日本語のディベート大会では顕著です。

英語も日本語も、学年が上がるにつれて女性の比率が下がっていることは注目すべきでしょう。例えば日本語ディベート大会をみると、中学校で50%ほどいる女性選手が、高校になって30%前後、大学に入ると20%程度になります。また日本語については、論文中でも言及されていますがCoDA新人戦とCoDA全国大会を比べることで大学一年生段階における女性の離脱が示唆されます

女性ディベーターの少なさは何を引き起こすか。私たちに何ができるか - やほほ村

引用に示されている図については以下通し番号で図1~4と表記する。 
今回批判する点は2つあるがその前に一つだけ。大会の男女比データのサンプル数が足りていないことは無視する。調査をすることは困難だろうしやほほ村さんが引用した論文にこれ以上のものが載っていないことはやほほ村さんの落ち度ではないからだ。実は私は引用先の論文を購入していないのでこれらのデータが引用元でどのように扱われているかは知らないがまぁそこが主要な論点ではないのでヨシ。

 

1.1 女性ディベーターの人数が少ないという主張は誤りである

女性ディベーターの人数が少ないことを示すデータは引用先のブログの冒頭見出しの図1、それから図2。やほほ村さんはこれをみて男女のバランスが取れていないと書いており、見出しには「ディベータ―ジャッジ共に女性比率は低い」と書いてある。しかし「比率が低い」は正しいが、ブログの随所に書かれている「女性ディベーターが少ない」ことは正しくない。「男性比率が高い大会の数」は多いが「男性ディベーターが圧倒的に多い」わけではない。全ての大会の男性ディベーターと女性ディベーターの人数を合計すると男性=628人、女性=615人と拮抗していることがわかる。以下に大会規模順に表を並べ替えたものを作成した。

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黄色くハイライトされているのは100人以上の大会規模のうち参加比率の高かった性別である。これを見れば男女に参加人数差が大きくあるとは言えないことがわかる。言えることがあるとすれば、大学,準備型ディベートでは一貫して男性の占める割合が高いこと、高校,英語,ディベートでは女性の占める割合が高いことである。

1.2 学年が上がっていくごとに女性参加率が低くなっていくという主張は早計

中学高校における男性の文化部所属率は著しく低いことがわかっている。
男性側から見たこれの消極的理由として考えられるものは
1.女性ばかりの文化部には入りづらい
2.友達が運動部に入るので自分もそちらに入る
2番は一見積極的理由のようにも見えるが、部活主体で決定していないこと、男女比が文化部と運動部で逆転していたら同じ理由で文化部に入ることが考えられること、の二つの理由から消極的である。中学高校における文化部の男女比率は国立青少年教育振興機構の集計により以下のようになっている。

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news.yahoo.co.jp

このため中学高校において女性ディベーターの比率が高いことはディベート界隈における何かが作用した結果ではなく部活動全体の傾向を反映しているだけだということが予測される。

大学と高校のもう一つ大きく違う点は在学する人数の差である。中学は義務教育であるため男女差はほとんどないものと考えられ、高校についても男女差はほとんどないことがわかっている。

f:id:Nakaroji:20210102144243p:plain

education-career.jp

しかし大学においては男性のほうが明らかに人数が多い

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education-career.jp

そのため男性のほうがディベート界隈において多いことは取りざたするほど不思議なことではないのだ。むろん大学全体の傾向よりもディベート界隈における男女比のほうが著しく低いのが数時から読み取れるためこれについては考える必要がある。
以上のことより中学高校の時点で女性のほうが参加率が高いのは不思議ではなく、学年が上がるごとに女性参加率が下がっているのは誤った誘導になってしまう。むしろ大学ディベートに女性が極端に少ないのならば、その理由は中学高校とはまったく関係なく大学ディベート環境に特有な問題であることがわかる。

2.誤ったデータの読み方がブログの本筋に与える影響

実をいうと影響はあまりないのだ。せいぜい言えるのは
1.ディベート環境は学年が上がるごとに女性にとってよくないものになっているとは言い切れない
2.女性ディベーターは日本では少ないのではなく大学においてのみ少ないこと
3.大学の準備型即興型共に女性ディベーターが少ないのではなく準備型の日本語ディベートにしかその傾向は認められないこと
4.データが大学準備型の環境についてしか傾向を示していないのにブログ全体を通して主語がでかいこと
というくらいのものである。あとは新しい発見としては大学全体に占める女性の割合よりも大学日本語準備型ディベート大会における女性比率のほうが低いことだ。どれもブログの現状分析が誤っていることにはなるが本筋には全くと言っていいほど関係がない。

原因はそもそものブログがインタビューや筆者の肌感覚をもとに構成されていることにある。それ自体は悪いことではないし警鐘を鳴らすという意味では「このコミュニティは無意識に女性排他的になっているかもしれない」ことを示すことが重要なのでデータは別段なくてもよいものだ。しかし今回私が怒っているのはデータが意味をなしていないことそのものだ。データは客観性の演出に使われるべきではないし、現状分析をデータを用いて行うのならばそれは正確に行わなければならない。数字は嘘をつかないがそれを読み取る人間はその限りではない。今回筆者は誤ってデータを読み取った。ディベーターを名乗るのであれば最低限のデータは読み取れるようにしてほしい。

3.最後に

私はやほほ村さんのブログの本筋である「ディベートコミュニティがどう動くべきか」という話にはほとんど興味がない。私はもうディベーターではないからだ。しかし元ディベーターとしては議論が起こることの重要性も、現状に対して問題提起を行うことの重要性も理解している。きっかけを作るというのは誰かがしなければならず、かつ最も難しい変革の第一歩だ。私はやほほ村さんの今後の活動に期待しているし応援もしている。ブログ内で男性についての分析を書くことができなかったことを悔やんでいたが、今後の執筆においては正しい分析をもとにより力強い議論が巻き起こることを祈っている。

 

 

 

更新
2021年1月2日16:24
 エクセルの表でNAFAを日本語ディベートと表記していたため修正しました
2021年1月2日17:23
 自作エクセル表から導かれる結論の「大学,日本語,準備型ディベートでは一貫して男性の占める割合が高い」を「大学,準備型ディベートでは一貫して男性の占める割合が高い」に変更しました