数学…

友人が幸福と死について数学の式を使って考えようとしているのを見た。論理的に事を進めるために、もれなく事象をカバーし、厳密に評価するために数式を用いたのかもしれないが、あまりにも数式が数式の体をなしていなかったのでここで少々手直しをさせてもらうことにした。数式を用いていたのは2つの場合についてだった。

 

まずは一つ目。人生の中での幸福の総量が負ならば人は死んでもいいのか?ということを数式を用いて考察している。

~引用開始!~
・Hを幸福量
・kを今日を起点とした人生の任意の日付
としたとき、
∑(k=0→n) Hk<0
~引用終了!~

まずこれをキーボードとかいう数式を書くのに最も適していない媒体ではなく、紙と鉛筆を用いて書くと以下のようになる。
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冒頭の∑の上と下についてだが、kが今日を起点とした日付ならば0をとるのはおかしい。そのため0→nという表記は間違っている。
次に単位について。Hの単位は何?kの単位は日付(年月日)だからHという謎な単位に年月日をかけた結果が0という定数と比較できるのは謎に輪をかけて謎じゃない?
Hkという式が内積をとっているのか掛け算をしているのかわからないが、とりあえず日付は時間の流れを表す単位であると考えるとkが負になることは考えられない。この式は∑がkについてのみ記されているためHは定数扱いとなる。結果、nH<0というなにがしたいのかよくわからない結果が算出される。この結果を見るとH<0の場合のみ死ぬことが許される。でもHって一定じゃないのでおそらく作者の意図とは違う結果が出てきただろう。ここで面白いのは上記の引用に続く文にはこれが幸福に依存した結果になるという旨が記されている。誤った式から導き出される結果もHに依存(厳密には定数扱いのため依存しているという書き方は正しくないが)しているためここだけは作者の意図通りなのかもしれない。

ではどうすればよかったのか。おそらく幸福量Hはその日ごとによって変化する、kについての関数であることが言いたかったのだろう。そのため幸福量は日付についての関数H(k)という形で表せば万事解決するはずだ。ここで(k=0→n)を活用するためにkを今日から何日経過したのかを表す整数とする。そうするとk=0は今日ということになり、この先の人生についての幸福量の総和を算出する式となる。さらに厳密に評価するならば、幸福量Hは日付にのみ依存しているはずがないのでkはほかのパラメータをすべて内包して表したその日を代表する評価値であると考えるのが妥当である。よってある時点での幸福量を算出したいのであればkをさらに関数として表記し、なにに依存するかを示す必要がある。

次の場合分けについて考える。作者は「毎日ずっと不幸なら死んでもいい?」を以下の数式を用いて表している。
~引用開始!~
Hを幸福量
kを今日を起点とした人生の任意の日付
としたとき
∀k(Hk)<0
~引用終了!~
これは困った。まったくもって意味が分からない数式になってしまった。なにが意味わからないのかというと()の使い方である。おそらくだけどこう表記したかったのではないだろうか
{∀k k∈N | Hk<0}
これで、任意のkについてHkが0よりも小さいときという文章が表せた。これについても先の式と同様に単位がおかしいという問題と、幸福量が定義されておらず、kが正であることが自明なため何がしたいのかよくわからない式だという問題は残る。

では結論、数式で表すときにネックになるのがHの定義だということが分かった。ここでHについて詳しく考えてみる。先ほどkが複数のパラメータを含んだベクトルであり、その日の幸福量を定義づけるパラメータの代表としての役割を果たしている文字だと記した。ではkの中身を決定する係数としては何が有効かというと、消費面では効用関数が有効であると考える。この幸福度を最大化するという目標を達成するために生まれた学問が経済学だし何より論理体系がある程度確立されている。精神面での幸福を測る道具としては別の何かを考えなければならない。どちらかといえばこちらが本当の「幸福度合い」なのかもしれないが、そちらの豊かさを考えるのは文学部のほうが適切かもしれない。

以上、数式の手直しと経済学徒から見た幸福度のちょっとした分析でした。