桑山千雪は死ぬべきなのか?

今夜はだれもDiscordにいない。母親からの頼まれごともない。課題もすべて終わらせたので残る仕事は明日のオンデマンド授業のみ。久しぶりに一人で過ごす静かな夜。外出は月1ペースなので自宅にいながら「久しぶりの一人」という表現を使うのはなんだか時代の変化を感じる(感慨深い)(しみじみと技術の進歩に感謝するとともになんだか深い考えがあるかのようなふわっとした文章)(おっぱいおっぱい)

 

考えが一番まとまる時間とか創作意欲が最もわく時間って夜だと思うんですよ。でもそんなことが思えるのは日中暇で体力をあまり使ってないからだってことを俺は知ってるんです。なので夜に何かする体力がある日あは日中もっと勉強してもいい日なんだなと思うようにしてます。そんな暇な夜に考えたこと。それは「千雪さんは死んだ方がいいんじゃないか」ってこと。理由は千雪さんは死んだ後のほうがその優しさ、真っ白な人間性が際立ってPのこころをえぐり取っていくからだと思う。ごっそりと。発狂するレベルまで。頭の中をぐちゃぐちゃにかき回して心の安寧をもぎ取っていくと思う。病めるときはもちろんのこと、健やかなるときにこそ「存在したはず」の千雪さんの面影は生活に影を落としPに復帰不可能なまでの喪失感を与えると思う。生前に受け取った無償の愛情と無限の優しさは人らしさを取り戻したいと考えている全国のプロデューサーのこころに気が付かないうちに「こんな人がいてほしかった」願望をかなえる存在となることは間違いないし、否が応でもその優しさに鈍くなり無自覚になっていくのが千雪さんの魅力の最も恐ろしいところだと思う。常に自分はだれかを支えるんだという意識が徹底されていなければあそこまで無償の献身と欲のなさは実現できないはずだ。ファンの日常を支え、自分をプロデュースしてくれるPが困らないように支え、ユニットのメンバーである大崎姉妹が成長できるように、夢をかなえられるように支え、第一線で活躍する事務所のほかのアイドルのことも常にサポートする。もう自分の足よりも千雪さんのほうが俺を支えてくれている気がするよ。唯一こころを許してるっぽいはづきさんだけは千雪さんの死を違う風に受け取るかもしれない。でもPはPという立場にいるからこそ千雪さんの死で一番狂うと思う。

仕事というのは学校に行くのと同じように、日を重ねていけばすべては日常の一部となる。学校に行くのが当たり前だと学生が思っているのと同じように、社会人は仕事をするのが当たりまえだ。千雪さんのPにしたってそれは同じ。毎日千雪さんと顔を合わせ、彼女の魅力について考え、それを最大限引き出すために仕事の全てをかける。千雪さんという存在が日常になってしまうの必然なのだ。そのうえ千雪さんも常にこちらをサポートしてくれるのだからなおのこと仕事をする上で彼女のことを真剣に考えるのは当たり前になる。仕事から帰ってもそう簡単に自分自身について考える時間が取れるわけでもなく、常に意識の根底に担当のアイドルは存在し続ける。他のアイドルのPにしたってそれは変わりないかもしれない。だが今は桑山千雪について話している。桑山千雪がPの心に与える影響はほかのアイドルとは一線を画する。意識の裏に存在し続けるある種の毒として桑山千雪は自分のPを侵食し続ける。その優しさで、その温もりで、その柔らかさで周囲を包み込む桑山千雪という存在を否が応でも一番近くで見守り続けるPはその優しさの矛先が自分に向いていなかったとしても優しさを彼女のイメージの一部として常に意識づけされることになる。彼女のイベントを企画するたびに、彼女にふさわしい仕事はどんなものか考えるたびに、彼女の魅力を取引先の担当者にプレゼンするたびに桑山千雪の存在は脳内で上書きされ、強化されていく。彼女の特性を理解し、それを誰しもが分かる形で表現し、伝達するのがPの役目だ。だからこそ逆説的に「やさしさ」「癒し」「平和」を桑山千雪の特性として理解してしまう以上やさしさを見るたびに、癒しを得るたびに、平和を感じるたびに桑山千雪が脳裏によぎるはずなのだ。それはあまりにも、あまりにも残酷だ。

プロデューサーの役目が担当アイドルの名を世界にとどろかせ、アイドルを皆の記憶に残る最高の偶像とすることならば、我々桑山千雪Pは人気絶頂の瞬間を狙って彼女を殺すことで世界中にその呪いをかけることができる。